2005年7月31日

台湾TV。

0728TTVdaihyou-ji-1.jpg
下見で老寨山に登られて、記念に石板に「サイン」を御願いして。

0728-TV-isi- 002.jpgアラビア文字?
実は”名前の裏書サイン”。文字を透ける紙に書いて、裏から見た、「黄 以功」さんの草書文字が、逆でアラビア文字みたく見える。
0728TTVmina.jpg台湾TVスタッフ
事前連絡あったなら御案内しましたのに、出発された後に運転手から。昼間の登山は暑いワ!
中国中央CCTV−4「走編中国」VCDを観ていただいて、拍手を受けた。
取材は秋かな?これで中国、日本、韓国、台湾。ブラジルは未定、香港でも紹介、アメリカでも。

2005年7月30日

お手て繋いで。真四角に切れない。

0728-Francs-walk 018.jpg
欧米の2歳児と手を繋いで歩く。やはり母親が中国女性で陽朔西街に住むみ、CCTV−4「走編中国」で紹介されて、見知っていた。そして今回もCCTV−7収録で顔を合わせた。彼は11ヶ月で歩き始めた!と、コーラもビールも飲む!!

10cmkiru.jpg流木丸太を切って。
真っ直ぐには切れないものヨ、、、人生の修行が足りない?
0723-bigSugoroku6.jpg
サイコロ造り。

2005年7月29日

石に記念、記録。

0727isi.jpg想い出
記念に書いていただき、刻みました。セメントで固定し保存へ。

0728CCTV-TTV,Toshiba.jpgTV局、東芝。
8は末開く(縁起を担いで)喜多郎が1歳半の日でもあるし、8回目のTV収録(CCTV−7)を受けて!
東芝のノートパソコンです。TTVは改めて紹介します。

2005年7月28日

芥川賞。持続的発展。

0726daiyamondodasuto.jpg読書。
久し振りに読む。通常は百科事典を読んで寝るのですが、寄贈された「ダイヤモンドダスト」等が面白くて夜半まで読んでしまい、客室が満室なのに朝寝坊してしまった。

0726kaigouZentai 001.jpg研究討論会開催。
陽朔県が主催した「全国規模の”観光の持続的発展を”研究会」新聞記者などを載せて観光船が。
ここ興坪の自然景観は「20元札(裏)の風景場所」です、それは中国を代表する風景の1つですから、又未開発の農村でもあります。一過性でなく「持続可能な経済的発展を求めて」。有意義な展開を期待し、観光地で俗化しない様にもと。

2005年7月27日

偶然。大学、カメラ。

0726UnnansihanU-06.jpg教師。
以前、雲南師範大学で短期間ながら語学留学した、その大学の中国語教師が偶然にも御泊りに、直接の授業は受けなかったが、奇遇。

RICOHkamera.jpg御客様のカメラ。
0726RICOH 002.jpg私のカメラ。
RICOHのカメラ。以前「喜多郎の出産祝い」に頂いた物。阪神タイガースのマークは付いているが、同じ型のカメラに奇遇。
今回の日本人御客様方々は偶然にも、関東エリアでそれぞれ関係があり、居住地区や、出身大学、同じ沿線等で、皆さんの御話しに弾みが付きました。ビールも美味かった!
有難う御座いました。

2005年7月26日

老寨山山頂へ。CCTV−7。

0725santyou 006.jpg赤い。
久し振りに山頂へ御客様方々と。幾重にも重なる石山連、赤い夕陽は美しい、TVーCMになった場所。山道がないから御自分で。

0725santyou 001.jpg山頂の友好亭で。
北東をバックに。
0723-CCTV-7 purodiu8.jpg中国中央TV−7台。
中国語の取材は妻ビンビンと喜多郎に任せて、私は隣でニコニコ顔。喜多郎は8回目のTV取材になる、エライコッチャ。御客様のカメラにも無数の、後継者「喜多郎」ですから、、、、老兵は消え去るのみ。

2005年7月25日

夕陽と竹イカダ2ツ。

0724Yuuhi 001.jpg真中
0724Yuuhi 002.jpg少し
どちらが写真で面白いかな。カットも素人です。
夕立と夕陽なので「虹」をと探すも、ここは森、林の中なので見通しが悪くて。星空かの見極めも外で1度シッカリ確認をしてからでないと。

都市の5歳の子供から質問、「おじさんは毛沢東と戦争したの?」「第2次世界大戦の時は、まだ生まれてなく、兵隊に行きませんでした」と返答。”歴史教育”が幼稚園から。今夏はTVも新聞も「抗日戦争勝利60周年記念」花盛り。もう昔の歴史なのに現在日本人に向けられて、08年北京オリンピック、10年上海万博、、、、なんとなく。

2005年7月24日

ダンボール家、大すごろく。

0723-danbouruie.jpg好きな家!
ハイハイして、良く入ります。

0723-bigSugoroku7.jpg木製の双六。
少し重たいが、手首の運動?ひとつ、One,イー3ヶ国語?小さいのとで「足し算?」、妻曰く「バクチ」か!

2005年7月23日

女医直前、新女子大生。桜1999年。

0722-PandaSato 002.jpg
喜多郎が何故か、とてもナツイタ人。女医さんになる姉に、妹さんにも。安心出来る人にか。
18歳、新女子大生に合格して、どこの大学かを待っている時。美しいの一言。スタイル抜群!

990505-mukasi2.jpg昔の写真。
千葉県から「桜の苗木」を記念写真。6年前5月。2本が小学校校庭で、毎年春「桜の花」を咲かせています。有難う御座います。

2005年7月22日

Wheel Chair。「土の宿」オーストラリア。

suro-pu-wheel-chair 012.jpgマーク
スロープに黒ペンキで、キャンペーン活動です。これまでに”和平亭”へ7名ほど車椅子で行きましたが、これからです、ジックリと長い歩みで。「土の家」オーストラリアのマネージャーが立ち寄られまして会話、これを良い機会に再び歩み出しましょう。

wheel-chair 006.jpg1万円で購入、
試験的に使用しましたが、ほこりを被って。
toire-wheel-chair 015.jpg公衆トイレ。
今は管理人の物置ですが、将来はキット。
2Fita-wheel-chair 017.jpg2階への板通路、
まだ使った事がない、最初から準備はしました。でも実際は”部屋のドア幅が狭く”て改良しないと。室内トイレも車椅子用に整備しないと。
kanbanwheel-chair 007.jpg中国語、中国人に。
身障者、車椅子の代表「�ケ小平さんの息子さん」(文化大革命の時に事故に)波止場のスロープも鎮政府から「工事ストップ命令」が出たママで、もう3年も音沙汰なし。波止場のスロープは、自転車、荷車、オートバイ等にもトテモ便利なのですが。日本人利用者から県書記に「建議案」が有効かも。県政府建物も鎮政府にも一切のスロープすら全くありません現状です。

2005年7月21日

Peace Corps(3)。トラクター2題。

0714-PeaceCo-bijyo18.jpg
Beauty American Lady & Kitarou.We hope Kitarou, can speake English & good communicate on the World.and volunteer work.
ピスコのアメリカ女性と喜多郎。喜多郎に希望は、英会話と世界中の人と上手な交流。そしてボランテア活動を。(私の下手な英語、下手な交際、、、でも英会話をこなし、メデアで多数紹介され、外国に住みついているか)子供はオヤジの背中を観て育つと、沢山の人々に抱かれ、愛嬌をふりまく喜多郎、もう名刺を配ってPR、はたしてどんな大人になるかな?

0711Torakuta-1.jpg波止場で。
toraku-outen0617.jpg陥没で横転。

2005年7月20日

北京留学。映画撮影。

0718-19pekin-ryugaku8.jpg元気印。
夕陽を見に山頂へ、良かった。朝日を見に4時45分出発、ピンク色に感激。北京に1年語学留学の現役女子大生、元気一杯の若者に祝福!将来もセッカク学んだ中国語を役立てて下さい。

0719,eiga 11.jpg役者が空中を飛ぶ!
クレーンから吊るし左右に舞う。
0719,eiga 016.jpg裏方さんがヒモを引っ張って。
欧米人の注文撮影で、映画かTVCMかは不明。現場には電線がなく、水面がキレイで、石山と竹林がバック、撮影条件が最高な場所。現場にクレーン車が入る為には花壇を乗り越えての進入でしたが。老街でも映画ロケ、石山風景でも映画やTV取材が多数の田舎「興坪」。
早く観たいな映画「子供少林寺」。

2005年7月19日

BKKで熱帯医学を学ぶ友から。「日本住血吸虫」

nihonnjyuuketukyBEST.jpg
 写真は授業で使われたものです。先人が原因不明の病気を究明す
るために牛の足を覆い感染が起こるかどうか実験し、その結果、田の水に触れなけれ
ば感染しないということを発見した写真です。先人の苦労がしのばれ、感動しまし た。

バンコックに来て早くも4ヶ月が過ぎました。こちらでは授業、1カ月おきの試験、
フィールドトリップなど忙しい毎日を過ごしています。寄生虫、細菌な
どの授業は殆ど終わり、最近ではエイズ、結核などの授業があります。8月より選択
科目となり、細菌培養と統計学をすることにしました。
授業では、日本人の名前が多く出てきます。細菌学における北里柴三郎、志賀潔(赤
痢菌の発見)、ビタミンの発見者鈴木梅太郎、黄熱病の研究のためガーナで亡くなっ
た野口英世などいずれも輝かしいものばかりです。いずれの研究者も睡眠時間を削っ
て研究に打ち込んだ姿勢が紹介されています。
 細菌学、ウイルス学の授業もありますが、こちらの授業は寄生虫学に重点が置かれ
ています。寄生虫の授業でも以下のように日本人の名前がよく出てきます。
1847藤井好直 日本住血吸虫に関する片山記
1904桂田富士郎 日本住血吸虫の発見
1911横川 定  横川吸虫の発見
1913宮入 慶之助 日本住血吸虫の中間宿主ミヤイリガイの発見
1926浅田 順一  浅田棘口吸虫の発見
1939宮崎 一郎  大平肺吸虫の発見
1927緒方規夫   ツツガムシ病の病原体ツツガムシを発見
その他、蠕虫卵検査法の加藤氏セロファン塗抹法など、この他たくさんの日本人が
登場します。
この中でも、寄生虫学における日本人の業績でもっとも輝かしいのは桂田富士郎の日
本住血吸虫の発見とその生活史の解明といわれています。これに関する記載をイン
ターネットで見つけ要約しましたので、よろしければ読んでください。

日本住血吸虫の発見
日本住血吸虫の発見とその生活史の解明は、20世紀の医学で日本人が果たした最も輝
かしい業績であるといわれています。かつて広島県神辺町片山一帯で、たんぼに入る
と皮膚のかゆみ、発熱、下痢、腹水を来たす風土病が地域住民に深刻な被害を与え、
原因不明の奇病として恐れられていました。  1904年(明治37)に、岡山医学専門学校の桂田富士郎教授は、ネコを解剖し、臓器
を岡山に持ち帰り、5月26日にその門脈内から新しい寄生虫を発見しました。また肝
組織内に患者の糞便に見られたものと同一の虫卵を認めました。さらに7月に再び甲
府でネコを解剖し、門脈から多数の雌雄異体の吸虫を検出して「日本住血吸虫」
(Schistosoma japonicum)と命名し、世界の学会から認められました。
 桂田教授は気力旺盛で3時間の睡眠による超人的な活動、門弟へのふかい思いやり
と支援、明日に延ばさない即決主義などの人間像が紹介されています。
1913年(大正2)に九大の宮入慶之助、鈴木稔(のちに本学細菌学教授)によって中
間宿主カタヤマガイが発見され、日本住血吸虫の生活史のほとんどが日本で解明され
ました。  日本住血吸虫は日本から消滅していますが、今でもアジアに広く分布し多くの人び
とを苦しめています。
片 山 病  岡山県に接する広島県神辺町片山付近の風土病については、19世紀初めの文化時代
から記載されて、古くから不治の病として地域の住民から恐れられていた。漢方医・
藤井好直は、幕末の1847年に『片山記』を執筆している。地域の風土病の症状などに
ついて驚くほど正確に記録しており、これは最初の貴重な医学文献である。片山記は
要約すると次のようである。
 「初夏のころ田を排して水に入る者は漆にかぶれ、手やすねが薄くなり、牛馬も同
じで多くの人々が患った。これは漆のせいだとされた。次いで下痢をしたり、手足が
やせ細り、体が黄色くなって腹ばかり太鼓のようにふくれ、だんだん弱って死んでし
まう人もいる。自分が診ただけでも30人以上の人がこの病気で死んだ。牛や馬も何10
頭も倒れた。この病気は片山の周辺だけではなく、もっと広く存在している。どうい
う毒でこの病気になるのか、原因がわかれば治療もできるが、今まで誰も成功した者
はいない。よその同業者に聞いてみたい。」

友は自ら志願し自費で「熱帯医学」を学び始めた、40の手習い?新たに”他人を助ける為に”学ぶ姿勢が。ヒポクラテスの誓いか。海外でボランテア活動(奉仕活動)をする為に。
私は、ヒマラヤ山中で10年、タイ北部山の中で4年、1997年〜2001年までは老寨山で、「無償の奉仕」をしてきました。今は小さな旅館業と平行でボチボチと、収入がないと続行出来ないから。

2005年7月18日

鵜飼い、100台のカメラ。

0716ukai-5.jpg絵。
バックの自然風景と「鵜飼い」で絵になる写真場所だから。

0716ukai-4.jpgコチラからも。
水量よし、水清し、夕陽もあり。撮影チャンスでしたから、皆さんの「作品」へ。

2005年7月17日

Peace Corps(2)。喜多郎の笑顔。

0714-PeaceCo-egao3.jpg笑顔。
嬉しいから、この笑顔はなかなか見れないもの。

0714-PeaceCo-ikada6.jpg竹イカダに立って!
立つのは危険とアドバイスしたのに、やはりバランスを崩してドボン!
0714-PeaceCo-hige25.jpg2年後に赤ちゃん。
モンゴルで出合い「愛」が。
アメリカのピスコ(平和部隊)現地で必要最低限の毎月90〜100ドルの支給だったと(住居は無料)ボランテア(活動)だから当然と割り切っていた。
ヒマラヤで10年、タイ北部山の中で4年、そして老寨山で。出稼ぎの日本で「活動資金を稼ぎ」現地へ、(メデアで紹介されてからはカンパも受けたし、ここ「老寨山」には両親の遺産を全部注ぎ込んだ私)。
無給の奉仕活動(ボランテア)を”物好き”と?現地で必要とされる行為をな。内から湧き出る情熱が持続の源です。ヒマラヤの電化、タイのエイズ支援(間接)、老寨山の山道造り、清掃など。
来年から「年金」が入る、自由に活動出来る資金だ!経済的に貧しい田舎「村興し」を”無農薬野菜”かな、その思考錯誤が楽しい。

2005年7月16日

武漢大学記念石。我等。

0714-WuhanUN-Isi-1.jpg刻みがね。
私が素人で、「武漢大学。日付」が上手には彫れなかった。ペンキの色も、質も。

Fr-Iwai-kazoku.bmpプロが写して下さいました。
サイズが小さくて済みません、このHPに家族の写真は珍しい?自分はシャッターは押しますが、自分は撮らないので。

2005年7月15日

PeaceCorps(1)

0714peaceCop-1.jpg泊めて。
1部屋しか空いていない、、、、武漢大学教授の御好意でOKに。
ピスコ(アメリカの平和部隊)でモンゴルで2年間活動して来た彼等、冬が9ヶ月間も、夏は6週間しか。丈が5cmの草原、南部は砂漠、川のないモンゴルだったと。(山も無い?聞き忘れた)
興坪に来て、川が嬉しい、樹木が嬉しいと。早速離江で水泳、夜半まで川岸でビール10本也。
私の場合、ネパールヒマラヤは川あり、木々あり、2年でなくて半年ずつでの日本と行ったり来たり、でも慣れ親しんだ日本が恋しかった。
彼等の気持ちを理解したい。

0714-PeaceCo-book.jpg1983年頃カトマンズで。
本の題名は 「Village Technology Handbook」. Vita社。水の流量計算で随分御世話になった本です。
ピスコ(平和部隊)との交流原点です。
0714-PeaceCo-isi1.jpgサインを御願いして。
御恩返しが出来たかな?これからも暖かく御迎えしたいです。

2005年7月14日

武漢大学教授の絵画。喜多郎。

WuhanUN-syo-honnin.jpg
贈呈記念写真。

WuhanUN-syo-.jpgペン絵、日本産筆。
黒色の額縁に入れる「ペン絵」。
0628kitarou-koube2.jpg神戸大学生と。
子育て、日本では労働に忙し過ぎて、赤ちゃん子供に充分な手が回らず、幾多の弊害が発生している様な。彼のクリニック手伝い体験から「喜多郎」は恵まれていると、我等幸いにも沢山の時間を喜多郎に。

2005年7月13日

ヘリコプター来るかな。仏女医さん。

0712herikoputa- 013.jpg青年夢
小型ヘリコプターが来るかな、大歓迎!是非来て下さい。空中映像を期待します。

0712Furance-8.jpgフランス女医さんと喜多郎
足の傷も診て下さり、あやしても。お国が違うとあやし方も違う!抱くのは甘えの助長か。
大人の中で育つ喜多郎、保育園には歩ける様になってから?甘えん坊、小皇帝さ。小明星?

2005年7月12日

花嫁衣裳。老寨山へ。

0710hanayome-6.jpg庭でポーズ。
和平亭でも写真。日本庭園?でも、残念ながら喜多郎を抱いてのシャターなので、、、

0708kanban-miru4.jpg山頂へ多数の方が。
沢山の方が登って下さいます。有難う御座います。
学校が夏休みで、天気も良いし、無料の「絶景」だから。
フランス人グループ、楊堤から歩いて、宿泊。男性1名女性6名なり。
興坪の宿、写生学生も多く近頃はエアコン部屋に泊まるので上等部屋が満室です。

2005年7月11日

日本米の刈り取り。

0710inekari-tetudai15.jpgお手伝い
脱穀作業、小学1年生もお手伝い。天日干しへ。

0710inekari 5.jpg大粒、沢山なので
倒れ易いコシヒカリ。収穫出来て一安心。

2005年7月10日

武漢大学生測量へ。絵画女学生。

0708Bukan-sokuryou7.jpg測量実習。
街並み保存の為の測量を、興坪の老街と下流の魚村を調査、建議へ。教授5名、学生61名で10日間。

0710sentaku-kaiga1.jpg洗濯場と絵描く。
絵画の学生も多数来られて、興坪は風光明媚と安い滞在費!
土日は広州、深センからの夜行バスの団体さんも、それだけ自然が残っているから(大自然と田舎)。
稲刈りが始まった。

2005年7月 9日

黄鶴楼。ハルピンTV。

0708oukakurou2.jpg贈り物。
武漢大学、建築系教授から頂く。タバコ1箱が約1000円超高額!お酒は知らない。
同じ、黄鶴楼のブランド名。下戸の私には宝の持ち腐れ?
記念品です、有難う御座います。

HRBTV6.jpg写真が届いた。
VCDは無かったが。日本語を少し話すTVカメラマンの王氏から届いた。有難う御座います。
折り返し、石碑の写真を贈ります。

2005年7月 8日

日本食、「納豆」自家製造。

0704Natto-4.jpg製造一式。
もう1年以上造り、今朝も。薬品無添加の安全”健康”食品です。何人かにお分け致しました。

0704NattokinOK6.jpg納豆菌で。
世界中に販売しているテック企画さんから頂きました。

2005年7月 7日

赤い矢印!小学1年生。

0706Yajirusi-1.jpg石門に。
山道を間違わない様にと、有難う!
世界をアチコチ旅して、これからも「旅」が条件!
良い「縁」が御座います様に、”赤い糸”の出現を応援しましょう。

0707souji-ok2.jpg石段を御掃除。
地元小学1年生、有難う。
日中関係が良い方向に向かって欲しいです。中国のTV新聞で60年前(抗日戦争勝利60周年)大キャンペーンが毎日連続で報道紹介されて、「歴史教育」。
右肩上がりの中国経済。

2005年7月 6日

美女山頂。雑草茂る道。

0705santyou-bijyo4.jpg老寨山。
絶景に独身女性立つ!ワレと思わん人是非どうぞ。165cm以上。

0705zassou-2.jpg生い茂る雑草。
先日懐中電灯で歩いて、道を間違えた。雑草が道を塞ぎ、見えない、昼間に50回は歩いた山道なのに。TV塔山、主峰に行く山道ですが、昼間なら判るが。今日一部をカマで切り開いたが、まだ夜間歩行は怖くて「南十字星撮影」は先だな。

2005年7月 5日

小屋にヒモ?航空便での記念品。

0625hebi1.jpgアレー。
縞模様のヒモ、まさか!翌朝に太って穴から出られず首だけ出してが発見され、お陀仏。内にはリスが居たのかな?獲物が有れば木にも登る、そう云えば断崖絶壁の山頂でも見たナ。

0626supu-n5.jpg今はもう入手不可能。
昔の記念品。タイ航空のTeaカップセットも特別に頂いたな、でも写真にないから、当時からプラスチックだったのかな。味気ないプラスチック製品。金属スプーンは喜多郎も使っています。

2005年7月 4日

朋友遠方より来る。

0703Fujie Oiwai3.jpgお祝い。
喜多郎が抱かれて。知り合ったキッカケが、もう想い出せません、次回には語られるでしょう。
北京に国費留学生、中国語。

97-5mukasi4.jpg97年5月山頂で。
友好亭が出来る前に、「日中友好」の垂れ幕。もう大昔ですな。パソコンもHPも無かった当時、航空便で連絡し合って。
0703Fujieisi 006.jpg刻みます。
朋友の永久記念だから。

2005年7月 3日

日本の技術。馬。

0702Koinobori3.jpg金色。
半年以上も「雨ざらし、日晒し」なのに金色も落ちない。スゴイ日本の技術と感心する。

0702umaOK-9.jpg現役の馬。
イヤイヤ船に、後ろからムチで叩いても。
日本で道路が通じていない家はわずかでしょうが、世界全体ではマダマダ。上水道、下水道。電気も。
幸いにも日本は経済大国になったが、逆に「心」の面ではマイナスへ、どうしたもんかと。
大自然と共に、故西堀栄三郎さんの色紙「自然を愛し、自然の恵みと、自然に従う」1982年。

2005年7月 2日

老寨山山頂から、南。西。

0629santy-TV-syu7.jpg南方。
左手がTV塔山(俗称)。右手が主峰。南十字星は南に?70m高いので展望をサエギル!
そこへの山道を、雑草やジャマな小枝を処理しないと、今はヌカルミも、大量の落ち葉も。

0629santyou10.jpg西方の展望。
山の形が全部違う、大体同じ高さで、石灰岩のタワーカルスト地形です。
何回見ても飽きない大自然の風景。特に「夕陽」が美しい西方。

2005年7月 1日

老寨山旅館、老寨山。

0628hito1.jpg来訪者。
桂林の人。フランス人プロカメラマン(昨年10月24日に紹介、小さく写真に)(もし写真が見れない場合は”画像の表示”をクリックして下さい)刺身、おにぎり。文化人類学の学生。

0628tumiki7.jpg後継者!喜多郎、積み木。
風呂桶の余り木、小さい丸太、立方体の手創り積み木。楽しく遊んでくれて、2つ一緒につかんだりも。手指の成長に役立つだろう、創造「智恵」の手助けには、これからだろう。
0629santy-hadaka21.jpg山頂の風景。
暑いから。写真機にも詳しい。